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【第1話】ちょっとずつ公開します(照)【Kaeのマイキャリ物語】

こんにちは、Kaeです。

「私の過去の話を聞きたいですか?」
の呼びかけに、

メール直後から
「読みたいです」という
メッセージがどんどん届いていて

うれしいやら恥ずかしいやら……。

一方で

「Kaeさんは特別だから
 上手くいったのではと思ってました。」

「興味はあります。読みたいです。
 でも、Kaeさんだから出来たんでしょうね
 私は無理かな、とも思ってしまいます」

という気になる声もいただきました。

……そんなわけないじゃないですか(苦笑)……

と、いうことで、
私の過去の話を公開します!

まずは、大学時代後半。
完璧とは程遠い、大苦戦の就職活動から……

1年間のアメリカ留学から帰ってきた私は、
とにかくうずうずしていました。

勉強はこのくらいでいいから、早く稼ぎたい!

インプットもそれなりにしてきたし、
早く自分が何かを生産する時間を過ごしたい!

だから就職活動も楽しみにしてました。

ところが……

あのリーマンショックが起きました。

その時、私は就活の1年前だったのですが、

一足先に就活を終えていたはずの大学の先輩が
どんどんな内定切りにあっているのを
目の当たりにしました。

これはヤバイ
…とは思いました。

でもどこか楽天的だったんでしょうね。

とにかく頑張るしかない、頑張れば

そこそこのところ、
どこかにはいけるんじゃないかと思っていて、

早くからあちこちを回っていました。

そう、あちこち。

つまりは、自分の中に基準も何もなかった。

まさに、ノーポリシー、ノープラン。(苦笑)

そして、
憧れてた化粧品業界、
ちょっと気になった不動産業界
思いついた知ってる大手 などなど

軒並み全滅でした。

ただ、自分は選ばれなかった、
というのもあるのですが、

1つだけ
その中で感じたことがあったんですよ。

どの会社に問い合わせの電話をかけても、
なんだか対応が冷たいんですよね。
事務的というか流れ作業というか。

人としての温かみが感じられなかったし

こういう会社で自分は働くのかと思うと
正直入りたくないな、と感じてしまって。

そんな気持ちでいるから、余計に
内定も獲得できなかったんでしょうね。

周りの同級生が苦労しながらも
どんどん、内定を決めていくのに、
私は本当に最後までどこも決まらずでした。

そんな中、忘れもしない2009年5月10日、
私はある会社に出会いました。

それは下町にある、制服のメーカーでした。

もう、その頃には説明会もまばら。
面接などを受け付けている会社も少ない中、
ダメ元で電話をかけ続け、訪問する日々。

丁寧すぎる応対で断られては凹み
それでも気力を振り絞り、私は電話をかけ続けていました。

でも、その日。

問い合わせた電話口の向こうには
「人」がいたんです!

「よく、うちみたいな会社に電話してきてくれたね! ありがとう!!」

人事部長の明るく人懐っこいオーラが
こちらにも伝わってくるようでした。

この会社は、問い合わせてきた学生の私も、
人として大事に扱ってくれてる!

その時、なんの根拠もなく
「私はこの会社に入るんだな」
と感じたんですね。

まるで、運命の人に出会えたかのような
そんな衝撃でした。

いや、信じたかったのかもしれません。

実際に訪問してみると
社内の雰囲気もフランクで風通しも良さそうで
働いている人の表情もいい。

若手や中堅の社員の人も優しそう。

ここは、自分の感覚を信じてもいいんじゃない? いや、信じよう。

就職活動も崖っぷちだというのに、
業務内容も仕事内容もさておき、

私はこの会社一択!の心境になっていました。

1ヶ月後の面接で、
私は「入れてくれないと困る」と
熱弁を振るいました。

(社長とかにはちょっと引かれていたかも?)

そして……内定獲得!!!

あぁ、やっと決まった!
やっと社会に出られる!!

めちゃくちゃ嬉しかった。

今まで苦労してきたのは
この会社と巡り合うためのプロセスだったんだ

そう自分を労いました。

入社したら、あの優しそうな先輩たちと
楽しく仕事できるんだよね。

きっと毎日明るく充実した生活になりそう♪

頑張るぞ〜!

私のモチベーションはマックスになっていました。

しかし、入社後、

その甘い夢は
いきなり打ち砕かれることになるのです。

……to be continued……

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