こんにちは、Kaeです。
先週月曜から、
私の黒歴史(笑)の公開を
おそるおそるはじめてみましたが、
想定外に反響が良くて
なんというか……こそばゆいです!!
「Kaeさんが就職活動に苦戦してたなんて!
そもそも、就職活動してたのも意外です!」
「Kaeさんにそんな時代があったとは
想像できなかったです!」
みなさん、
どんだけ私を特別視してるんですか〜??
と、いうことで、
引き続き、赤裸々な過去の話を公開します!
意気揚々と、4月を迎えた私。
サラリーマンとはいえ、
自分がお金を稼ぐ立場になったわけですから
不安よりも嬉しさの方が大きかったかも。
しかし、そんなモチベーションハイな時間は
そう長くは続きませんでした……
私が就職したのは、
岡山に本社のある学校制服の会社の東京支店。
営業職の同期は
私を入れて女子2名、男子2名。
私が配属されたのは第3営業課でした。
なんとなく、想像がつくと思うんですが
学校がどんどん設立される、なんてことは
最近の日本ではないわけで
この営業の仕事は、
基本、担当している昔からのお客さんを
ひたすら回る、ザ・ルート営業です。
そして担当地域で「稀に」出てくる新規案件を
なんとか競合他社に打ち勝って獲得するために
日々地道な活動をする
そんな感じです。
学校周りの人々は
まぁ「先進的」とは言いがたい方たちですね。
なかなかハードといえばハード。
根気強さ・忍耐力がないと無理だし、
若さや無邪気さとかは
なかなか武器にはなりにくい世界です。
それでも、
会社って、よくできてるもので、
私以外の同期は程なくして
新規受注を上げていったんです。
そう、私以外。
当時を振り返ると、
というか、後から人事の人に聞いた話ですが
「塩野(=私)だったら、ガッツありそうだし
大丈夫だろう」
との判断のもとに「営業3課配属」だったらしいんです!!
その営業3課とは……
「瞬間湯沸かし器」として知られている
古参の営業課長が率いる?
東京の東地区担当の営業部署。
新人である私と一番歳が近いのは
32歳の男性の先輩ですが、
特に私のフォロー役のメンバーはなし。
まぁ、はっきり言って
ちょっと疲れたおじさん集団という雰囲気の課でした。
そして、「俺の背中から学べ」的な?指導。
加えて、その職場では、
とにかく毎日、怒られまくりました。
途中経過を報告してないぞ!
挨拶がなってない!
その書類の書き方はなんだ!
こういう時は重ねてお礼だろ!礼儀礼節足らん奴だなぁ。
違うなぁ〜。メールの作法を知らんのか!
ちょっと面識あるからって、その口の聞き方は
ないだろ!
もちろん、私のできてない部分もあるのですが
課長のご機嫌も相まって
とにかく、叱責、叱責、叱責……
怒られない日があったなら、
「うわ〜。どうしちゃったのかなぁ?
今日は天国かも〜」
と幸せを感じていました。
かたや、他の同期の配属先は
上司が優しく、新人に華を持たせてくれる
雰囲気の部署ばかり。
「褒めて伸ばす」雰囲気が漏れ出てました
……(遠い目)……
特に、女子の同期が配属された
新規開拓特化の課は
私の思い描いていた理想の部署だったかも。
若手の選抜メンバーから構成されており、
同期には、メンターとして
2年先輩の女性がついていました。
そして若手メンバーを束ねる課長は、
「仏の上司」と社内でも言われている人。
同期たちはよくそれぞれの部署で飲み会にも行っていて楽しそうでした。
あんな、ぬくぬくのびのび育ててくれる部署だったなら、きっと今頃私も…
でも現実は……
外で理不尽なことを言われ、
社内でおじさんに叱責される日々。
後に知るのですが、
新人である私が担当になった2社は
社内で敬遠されるモンスターの双璧だったのです。
比較的大手のA社は、
同族+古参の社員の構成で、
なんと社長以外の10人の社員は全員年配女性。
「新入社員にうちを担当させるなんて、おたくはうちの会社のことなめてるんじゃないの?」
というムードからのスタートでした。
かたやB社は、老舗のスポーツ用品店。
学校に体育着などを納入をしている会社です。
「今までと同じ値段で、刺繍入れてきて」など
ザ・お山の大将の社長には、
難題を持ちかけられるのは日常茶飯事でした。
どうして、私だけ……
私、正しいことをしてるよね??
泣きながら帰った日もありました。
あの時、
社会は果てしなく私にとって理不尽でした。
新規受注を上げることなく
1年目は過ぎて行きました。
実は一番辛かったのは
2年目の前半だったかもしれません。
既視感のある
シチュエーションと辛さの繰り返し。
とりあえず会社に行こう。行かなくちゃ。
そして、なんとか今日が終わればいいな
とさまよううちに1日が終わっていました。
無気力な一方で、
自分だけが成果を出していない、
会社のお荷物になっているという思いが
常に自分の中にありました。
でも、どんなに苦しくともやめたくはなかったんです。
というか、辞めるという選択はなかった。
初めての社会人生活で、逃げる経験はありえないと思っていたから。
社内では、個性強めの私に対して、
「留学でアメリカかぶれしてそうだから
私の価値観に合わないんで、と
早々に辞めちゃいそうだよね」
と囁かれているのも知っていました。
だから余計に
やるからには必ず爪痕を残すんだ!
残さないうちにやめてたまるか!
そう思っていました。
ただ、
自分がいる場所で貢献したい、
価値を提供したい、
周りから求められたい
その想いは、から回りして、
私の心を蝕んでいたようです。
そして、さらに悪いことは重なるもの。
ちょうどその時期、
付き合っていた当時の彼から
「しばらく距離を置かないか」
と告げられてしまったのです。
優しさが、救いが
私の手からこぼれ落ちていく……
皮肉なもので、それでも体調だけは異常なし。
いっそ、体調もおかしくなって
会社も休めたらいいのに、と
何度失望したことか。
無気力、そのものの私。
「塩野、大丈夫?
最近顔が死んでるよ」
気がつくと、
S先輩でした。