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【第4話】ノッてる私がガツンとやられた話【Kaeのマイキャリ物語】

こんにちは、Kaeです。

先日から、
私の独立に至るまでの話を公開しています。

前回では、
3年目にして初新規をあげられた時の
話でした。

「メールを読んでいて、
やった〜!と嬉しい気持ちになりました」

「なんか、ちょっとうるっと来ちゃいました
よかったですね!!」

ありがとうございます!
皆さんにも、きっと応援したり
心配してくれる人がいると思います。

その人のためにも
諦めないで、頑張ってくださいね!

さて、その後の私はというと……

一度した成功体験は
グッと私に自信と臨場感をあげてくれました。

当時、社内では、
朝会で前日の受注報告があるのが
慣例になっていました。

そして
受注がないこと、受注0(ゼロ)なことを
「おまんじゅう」
と呼んでいました。

つまり、約3年、毎朝
私は「おまんじゅう」扱いでした。

……思えばよく病まなかったなと思います……

でも3年めのあの日から
私は「おまんじゅう」でなくなったのです!

「私も、会社に貢献できる。
 お客様に認めてもらえるんだ。」

いわば、セルフイメージが
一気に変わったわけです。

その自信溢れる立ち居振る舞いは
行動の質と量をあげていきます。

そしてコンスタントに
年間2・3社(校)の新規を上げられるようになっていきました。

実績を積むことで、
随分顧客との関係性も変わりましたし、

ちょっとした難題にも
ゲームの攻略感覚で立ち向かえるように

メンタルも上がってきていました。

やはり、
成功体験の効果ってすごいものですね!

また、会社では、毎年11月に
顧客向けの展示会イベントをしていましたが、

そこの集客でも私はスイッチが入りました。

初受注をあげた3年目は、
3社を集客できたのですが、

4年目、私は
11社でトップ集客だった、あのS先輩を抜きます! と宣言したのです。

当時の部長の川端さん(現在は東京支店長)に
「ご存知の先生を紹介してください!」と
熱弁をふるい、協力を取り付けました。

結果は……14社集客でトップ!

私はその後3年間、
トップ集客の座を譲りませんでした。

思えば、3年めの後半、
私は自分の勝ちパターンを作りつつありました。

自分のやりたいことを、
とにかく周りに言いまくる。

部署関係なく、
できる上司を捕まえて、相談する。

そして同行してもらい、
売れる営業マンの立ち居振る舞いや会話を
見よう見まねで自分のものにする。

おそらく、
メキメキと実績を積み、
社内のできる上司たちを味方につけてしまう
私のことを

面白くない、と思う人はいたとは思います。

ただ、それを気にする暇もつもりもなく
私は仕事に没頭していました。

4年目の時、
飲み会の席で2つ上の先輩から冗談めかして

「枕営業だろ?」
と言われたこともあります。

今そんなことを言ったら、
即セクハラで懲戒ものですけどね〜。

会社も社会も男社会な感じだから

当時はそんな私へのやっかみも
社内にあったってことでしょう。

周りの同僚や先輩たちも
誰も咎める人はいませんでした。

もちろん、カチンときましたよ。
心ん中は「クソ野郎!!!」でした。

でも、その場は受け流してましたね。

そんな時がくるだろうと
どこかでわかってもいたし、
それを原動力にしてました。

朝の通勤電車の中では、
今夜の接待先のお客さんのための
カラオケの予習。

50代人気ランキングの曲を
電車でもみくちゃにされながらも
耳コピで完全マスター。

もし当日、予想外の曲が出てきたら
「今度までの宿題ですね(ニッコリ)」
と返して次回につなぐ。

担当エリア内のキーマンには
定期的に、これは、と思う上司を同行。

外回りから自分の席に戻ったら、
展示会にきていただいたお客さんにも
全員手書きでお礼状書き。

周りからしたら、
ハードといえばハードかもしれません。

でも、ストレスはなかったです。

とにかく、仕事が楽しくて楽しくて
どっぷりと充実していました。

そして、
上司や会社、取引先に認められることが
モチベーションに、

それがやがて使命感みたいなものに
変わっているのを自分でも感じていました。

しかし、そんな私の前に
目の覚めるような出来事が起こったのです。

それは、
同期入社のSPUの女子、田山真子が
退職する、という話でした。

しかも、
ベトナムの企業に転職するというのです。

……to be continued……

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