こんにちは、Kaeです。
先日から、
私の独立に至るまでの話を公開しています。
これまでのストーリーはこちら
→https://kaejfreedomgirl.com/archives/6100
前回では、
とにかく、仕事が楽しくて楽しくて
会社に捧げる人生に何の迷いもなく
充実していた私に、
とあるショックなニュースが舞い込んできた、
という話でしたね。
それは、
同期入社のSPUの女子、田山真子が
退職して転職する!!
という情報でした。
SPUは、新規開発専門部隊で
いわば花形の部署。
上司も先輩も、みな仕事ができて
後輩を育てよう、と優しい方達ばかり。
3課で「おまんじゅう」時代の私が
憧れまくった部署です。
同期の田山真子は、
留学経験もあり、優秀なことから、
そこに配属されたんだと思います。
すくすくのびのびと、順調に
営業担当になっていっていました。
その彼女が、ベトナムの企業に転職する、
と聞いて、
私は、「なぜ?」というより
……私はどうなの?……
という思いに囚われたんです。
「いつか、海外が舞台の仕事、したいよね」
そんなことを
彼女と話していたことも思い出しました。
……自分の本当にやりたいことって
なんだろう?……
私はもともと、
いつか海外での仕事をしたい!と、
学生時代から思い続けてきました。
……今の仕事が忙しくて、充実してることを
やりたいことをやらない言い訳に
してるんじゃないの?……
それに気づいてしまった感じでした。
気づいてしまうと、
今まで普通?と感じていた日常をやり過ごせなくなってきてしまいました。
あらためて見てみると、
5年目のボーナスも
サボってる同期との差は微々たるものでした。
こんなに頑張ってるのに、
社内の売り上げシェアも結構な額なのに
評価だって高いのに……
これだけのエネルギーを注いで、
社内外に人脈作ってもこれだけ?
外回りから帰ると
定年前のおじさんたちは、
自分の机でうたた寝。
私の何倍ももらっているというのに。
これって、どうなの?
自分の新しく開拓したお客さんの
名刺を眺めながら、
ふと思いました。
これだけできるなら
自分でやってみたらどうなるんだろう?
副業してみたら5万10万くらいは
すぐ稼げるんじゃない?
そんなに最初から簡単に行くとは
思えないけれど
少なくとも、
自分の頑張りがちゃんと自分に返ってくる、
そんなエネルギーの使い方をしたい!
6年目に入るころ、
私は副業をスタートしました。
最初のころ始めたのは、
投資でした。
たまたま知り合った人にすすめられた
「金持ち父さん、貧乏父さん」
を読んだことからでした。
会社員はお金持ちになれないから
投資家かビジネスオーナーを目指すこと
とあったので、
講座に入って、学んだことを実践してみたんですが、
なかなか大きい利益は見込めないものですね。
100万を動かして、真っ当なことをしても
1〜2万円の利益をあげられればいいところ。
下手すると損がかさんでしまいます。
これはビジネスしかないな!と感じて
オンラインビジネスを学び始めました。
まずは、
自己アフィリエイトで原資を少し稼ぎ、
そのお金で
コンサルを受けてコンテンツ販売ビジネスや
情報発信を始めました。
ただ、これも利益が出るまでには
かなり時間がかかります。
すぐ結果が出る、ということで、
海外バイヤーも同時並行で学びました。
こちらは初月からすぐ10万円を稼ぐことができました。
これを教えるのもビジネスになりそう。
この他にも、
エアビーアンドビーもやりました。
なんだかんだと
副業を初めて半年で会社の給与の倍を
稼ぐことができたのです!
これはいけそう!!
9月には、会社に「やめたいんですけど…」と
退職を申し出ていました。
今考えると、かなりの見切り発車ですよね。
ただ、私には2つなんとかしたい、なりそうという根拠もあったことはあったんです。
1つは貯金。
実は、昔から父に
「何かをしたい時のために、生活費1年分くらいの蓄えは作っておけ」
といわれていたことを守り、
入社以来、月3万円の貯金をしてきていました。
だから、なんとか1年間は、
贅沢せずにいれば、ビジネスのトライアルできるんじゃないかという安心感があったんですね。
そしてこっちの理由が大きかったです。
働き方を変えたかった!早く。
副業を考え始めてから、
多くの人に出会いました。
そこにいる人たちは
自由に仕事も、プライベートも満喫していました。
会社のコミュ二ティは、そこにいれば安全。でも、変化も自由もない。
私はそうではなくて、自由な働き方をしている人たちの世界に行きたかった。
だから勇気を持って、
1回この働き方をやめてみよう、と思ったのです。
ようやく育って、
今や年間売り上げ3億円を抱える
営業担当になった若手の退職願。
部長をはじめ、会社はびっくりというかショックだったようです。
次の繁忙期である1〜6月は
少なくともいてくれないと、
と懇願されました。
結局やめること前提なのに
8ヶ月くらい会社で働くことに……。
しっかり、有給2ヶ月、そしてボーナスも
いただきましたけどね(笑)
心配だった取引先の方達は
意外にどの会社も温かく、
私の独立を応援してくれました。
そんなこんなで、私は
7年目の夏、会社員を卒業したのです。
でも、実はその裏では
別のドラマが進行していたんですよね…。